これが解けるか!

Can this be solved!

これが解けるか!

ギムレットとエントロピー2

 ああ、それにしても、この酒が哀しい酒にならなくて本当によかった。

「いらっしゃいませ。ああ、はかせ、こんばんは」

「こんばんは。ラガヴーリン16年のダブルをストレートでください。あと、ゴルゴンゾーラとぬるめのお湯も」

 はかせと呼ばれた男性は初老のバーテンダーと親しげにやり取りしている。この店の常連客だろうか。

「ああ、マスター。カウンター席、空いてないね」

「あ、ほんとですね。他の席でも大丈夫ですか」

 はかせは残念そうにため息をついた。そして、苦笑いしながら、仕方ないなあ。あっちの窓際の席にするよ、と言った。

「あの、ここ、空けられますよ」

 とっさに彼を呼び止めた。

「いいんですか」

「ええ」

 私は頷いて彼の瞳を見た。綺麗な濃いブラウン色だ。

「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて、隣に失礼します」

 はかせはそういうと私の右隣の席についた。

「あれ?これ何を書いているんですか」

「あ、やだ、見られちゃった」

 さっきまでエントロピーのことを考えていたのだが、少し忘れていて理解の怪しいところがあったので図と式を書いて考えていたのだ。こんな場所で、しかもかなりアルコールの入った状態で、エントロピーの計算をしていた、とは恥ずかしくてさすがに言えない。

 どう答えようかと数瞬もじもじしていると、彼の方から口を開いた。

「これ、状態数計算とそれ関係の模式図ですね。エントロピーのことでも考えていたんですか」

「え」

 私はさらに困惑して答えに窮し、はかせにマスターと呼ばれた初老のバーテンダーの方を見た。バーテンダーは確認するようにはかせの方をちらりと一瞥した。はかせはいいよ、という風に軽く頷く。

「彼は元々物理系の研究者なんです」

「困らせてしまってすみません」

 はかせは申し訳なさそうにそう言った。

「あ、いえ、大丈夫です。ただ、こんなところでエントロピーのことを考えていたといってもおかしな空気になるからどうしようと思っていたら、エントロピーのことかと尋ねられたのでびっくりしてしまって……」

 はかせは、なるほど、と言って微笑んだ。そして、うまく理解できましたか、と彼は続けた。

「いえ、途中からよくわからなくなってしまいました。学生の頃は理解していたんですが、恥ずかしながら、もう数年くらいほとんど勉強していないのでかなり忘れてしまっています」

「そうでしたか。ああ、もしなんでしたら軽く説明しましょうか」

 はかせはさも当たり前というような調子で、楽しそうに私に提案してきた。不思議な人だなあ。でも、悪い人じゃない気がする。

「ええ、お願いしてもいいですか」

「もちろんです。では、まずエントロピーの正体を理解するために、次のような小道具を用意して考えましょう」

 そういって彼は鞄の中からA4サイズのボードを取り出して広げた。どうやらホワイトボードのようだ。この場にホワイトボードを持ってきていることと、それをここで取り出すことがおかしくて笑ってしまいそうになるのを我慢する。

 広げたホワイトボードはA3サイズになった。その上にはかせが図を描いていく。

 

「次の図のように 6 つの領域に分けられた容れものがあるとします。それぞれの領域には1から6までの番号を振ります」

 はかせは私の表情を見る。私はうんうん、と頷いた。ついてこられていることを確認したはかせは話を進める。

「ここでサイコロを一回振って、出た目と同じ番号の場所に玉を一つ置く。これを 100 回も繰り返せば、100 個の玉は 6 つの領域にほぼ均等に置かれることになります」

「確かにそうですね」

「あなたも私もそうなることを知ってはいましたが、なぜそうなるのでしょうか。全ての玉がある一つの領域に偏って集まらないのはなぜか、という質問に変えると分かりやすいかもしれません」

「それは確率の問題ですね。ある一つの領域のみに集まるためのサイコロの目の組み合わせは、100回とも同じ目を出す以外には方法がなく、それは全通りのうちたった一通りしかないからです」

「その通りです。玉がほぼ均等に散らばるのは、それを実現するようなサイコロの目の出方が、他と比べて圧倒的に多くあるからだと言えます。例えば、玉が 1 だけに集まる組み合わせは一通りしかないですが、1と2にだけ集まる組み合わせはそれよりもずっとたくさんあります。」

 

【問】

○以下の組み合わせと確率について答えなさい。

①100個の玉が1と2のみに入る組み合わせと確率

②100個の玉が1と2と3のみに入る組み合わせと確率

③100個の玉が1、2、3、4、5のみに入る組み合わせと確率

○サイコロを振る回数をnとする。nの値を大きくしていくと、③の確率はどのように変化していくか。

○サイコロの目の数を増やす(つまり区切られた領域の数を増やす)とどうなるか。